川村重吉
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川村 重吉(かわむら しげよし、1575年(天正3年) - 1648年(慶安元年)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。通称は孫兵衛。養子に川村元吉(加藤頼定の子)。
長門国の出身で、毛利輝元に仕えたが、関ヶ原の戦いで毛利氏が大幅に減封された際に浪人となった。伊達政宗にその才能を見出されて、その家臣となる。毛利家臣の頃にはその才能を発揮することはなかったが、治水工事等の土木工事技術に優れた人物であり、元和2年(1616年)から寛永3年(1626年)に至り北上川の治水工事を行なって、仙台藩の石高を大きく向上させた。
石巻市制施行50周年の昭和58年(1983年)8月1日に、港町石巻の基礎を築いた大恩人としての業績を後世に伝えるために、重吉の銅像が河北新報社によって建立され、石巻市に寄贈された。