干場崇永
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干場 崇永(ほしば たかひさ、1972年1月12日 - )は、日本の元プロ野球選手。千葉ロッテマリーンズに在籍した。富山県氷見市出身。
[編集] 経歴
富山県立高岡商業高等学校~三菱名古屋・三菱重工自工名古屋(1990年~1992年:現在の三菱重工名古屋、三菱自動車岡崎の前身)~千葉ロッテマリーンズ(1993年~1999年)
- 甲子園は1988年センバツ出場(控え選手として)。
- 社会人時代は2度の都市対抗野球大会出場(いずれも補強選手として)。
- 1990年西濃運輸、1991年本田技研鈴鹿(現ホンダ鈴鹿)。全日本代表候補にも選出される。
- 1992年ドラフト会議4位指名
MAX153km/hのストレートとカーブとスライダーが武器だったが、コントロールに難があり、肩の故障等も災いして期待されたほどの活躍は出来なかった。
通算成績は20試合1勝0敗0S、防御率3.89。 現在、社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)の富山県幹事を務める。