平有盛
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平有盛(たいら の ありもり、長寛2年(1164年) - 元暦2年3月24日(1185年4月25日))は、平安時代末期の武将。平重盛の四男。母は藤原家成の女・経子。官位は従四位下右近衛権少将。
異母兄の資盛に従い、三草山の戦いに参戦。源義経に敗れた後は、屋島の平家本陣に落ち延びた。最後は壇ノ浦の戦いにおいて、資盛、従兄弟の行盛と三名で手を取り合い、海中に身を投じた。
奄美諸島には資盛、行盛、有盛が落ち延びたという伝説がある。行盛神社、有盛神社、資盛の大屯神社が祀られ、重要無形民族文化財に指定されている。「諸鈍シバヤ」などの風習も残っている。