平能宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平能宗(たいら の よしむね、治承2年(1178年)?-元暦2年5月7日(1185年6月6日))は平安時代末期の武将。平宗盛の次男。幼名は副将丸。位階は従五位上。号は自害大夫、または自在大夫と伝わる。諱名は良宗とも。
幼名の「副将丸」は、将来朝敵を討伐する際に、清宗(宗盛長男・能宗兄)を大将軍に、能宗を副将軍にという思いから名づけられたという。父宗盛の寵愛を受けて育ち、幼くして従五位上に昇るが、寿永2年(1183年)の一門都落ちに同行し解官。壇ノ浦の合戦で一門が滅亡すると、父・兄とともに捕らえられて河越重房の元に預けられ、京都・六条河原にて斬られた。
平家物語の「副将被斬」の項には、幼い能宗の最後の日々、即ち父宗盛との最後の別れや騙されて処刑場に赴く有様などが克明に描写され、平家滅亡の悲劇性を強調するエピソードとなっている。