庄司廉
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庄司 廉(しょうじ れん、明治20年(1887年)4月17日 - 昭和35年(1960年)8月10日)は日本の実業家、政治家。女優司葉子は姪。
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[編集] 経歴
鳥取県西伯郡渡村(現・境港市)に庄司昇造の子として生まれる。父・昇造の死により8歳で富豪「本庄司家」を継ぐ。
米子銀行、山陰日々新聞、博愛病院、境電気各(株)取締役、渡村会議員、第五代渡村長等をつとめた。又、鳥取県多額納税者でもあった。私財をもって山陰初の繭市場を開設した。
[編集] その他
- 庄司家は江戸時代後期の富豪の代表的な屋敷構えを残し敷地の広さは約6600平方メートル。母屋は1832年に村の大火で類焼したが翌年に再建され母屋と茶座敷が市の文化財に指定されている。又、庭園は県指定の名勝となった。
[編集] 参考文献
- 『境港市史』
- 『大正人名辞典II下巻』(底本大衆人事録昭和三年版) 日本図書センター シ25貢 1989年
[編集] 家族親族
- 父:庄司昇造
- 母:よし(島根県 宇山清左衛門長女)
- 弟:繁二郎
- 妻:清(島根県,木村吉郎妹)
- 息子:保親
[編集] 外部リンク
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