延安
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延安(えんあん)は中華人民共和国陝西省の市。人口約210万人。中国紅軍が長征を行った際、終着地として到達したのが延安であった。このことから、中国革命の聖地とされる。
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[編集] 歴史
[編集] 成立
延安の地は古くは異民族の立てた独立国があったようで、康王二十五年の青銅器小盂鼎に「盂攻鬼方」とあり、鬼方が現在の延安付近であるとされる(周易による)。
春秋時代には白狄と呼ばれる放牧を主な生業としていた少数民族の支配地域となり、晋の重耳が流浪して現在の延安の地にたどり着いたという。
戦国時代に入ると秦と魏の抗争の場となり、一帯を領有した秦は高奴県を設置した。ほぼ現在の延安市に位置するといわれる。
秦による統一後も、咸陽あるいは長安の北辺の防衛拠点として重要な位置にあり、引き続き高奴県が設置されている。
漢代にも引き続き高奴県は設置されており、漢書地理誌には『高奴県有洧水、肥可燃』とある。これが中国の史書における石油の記述の初出であるとされる。
その後、6世紀西魏廃帝の代に延州が設置され、これ以降は高奴県の名称は消える。
隋代に延州が延安と改称され、県から郡に改変された。これより後、この地は延安と呼ばれることになる。
[編集] 革命の拠点
何よりも延安を有名にしているのは中国革命の一大イベントであった長征の終着地であり、毛沢東が延安の石窟に拠って抗日戦線の指揮を取ったことであり、またこれら事跡によって革命の聖地とされていることであろう。
1936年6月に毛沢東率いる中国工農紅軍陝甘支隊が延安に入った。この後、1930年代から1940年代にかけて抗日軍政大学、魯迅芸術学院、延安大学など思想面の強化も含めて根拠地建設が進んだ。
[編集] 延安市の成立
1997年に中国国務院は延安地区行政総署の撤廃を決定し、陝西省管轄の延安市が成立した。
[編集] 地理・交通
延安は陝西省の北部に位置し、現在の気候は乾燥している。
[編集] 観光
- 延安革命記念館、中京中央書記旧跡、毛沢東旧居など、革命関連の観光地がある。
- 黄帝陵、宝塔山、延安民族文化村、洛川民族博物館など、歴史・文化関連の観光地がある
[編集] 延安を舞台にした作品
池谷薫監督のドキュメンタリー映画『延安の娘』は、文化大革命時の下放政策が残した悲劇を描いている。