張駿
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張駿(ちょうしゅん。306年 - 346年、在位324年 - 346年)は中国、五胡十六国時代の前涼の四代世祖文公。字は公庭。
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[編集] 生涯
306年に張寔の子として生まれる。西晋末に霸城侯に封じられた。張寔が殺害され、張茂が第三代王として即位すると、撫軍将軍・武威太守に任ぜられた。
324年に張茂が病没するとその後継者として即位し、持節・大将軍・涼州牧を自称した。初めは前趙に属し、劉曜により涼王に封ぜられたが、後に成漢に属し、更に東晋に通じ鎮西大将軍に任じられた。
巧みな外交戦略と、有能な人材登用により国力の充実に努めた。また沙州刺史楊宣を遣わして、亀茲・鄯善を討ち、西域諸国に通交させた。
345年には涼州を涼州・河州・沙州に三分し、大都督・大将軍・仮涼王を自称するなど前涼の全盛期を築いた人物である
[編集] 子女
[編集] 子
[編集] 年号
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