徳山宣鑑
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徳山宣鑑(とくざん せんがん, 780年 - 865年)は、中国唐代の禅僧。
俗姓は周氏、剣南(四川省)の出身である。
若くして仏道に入り、諸経論を学び、律蔵を究めていた。また、常に『金剛経』を講誦していたので、「周金剛」と呼ばれる程であった。
後、石頭宗の天皇道悟の法嗣である龍潭崇信に師事し、その嗣法となり、30年間にわたって、その門下で修禅した。その後、潙山霊祐らに参禅した。
会昌の廃仏時には独浮山の石室で難を避け、宣宗の大中初、復仏により、847年頃(『宋高僧伝』では860年頃)、武陵郡(湖南省)太守の薛延望の要請によって、武陵の徳山に住し、精舎を古徳禅院と号した。
門下からは雪峯義存、巌頭全豁らが輩出した。
865年(咸通6年)12月3日、遷化した。享年84(『景徳傳燈録』では86)、法臘65。勅諡は見性大師。
[編集] 伝記
師:龍潭崇信 | 禅宗 | 弟子:雪峰義存、巌頭全豁 |