惟明親王
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惟明親王(これあきしんのう、治承3年(1179年)-承久3年5月3日(1221年5月25日))は、高倉天皇の第三皇子。安徳天皇・後高倉院守貞親王は異母兄、後鳥羽天皇は異母弟にあたる。母は平義範の娘範子(少将局)。異称は大炊御門宮(おおいみかどのみや)。
安徳天皇が平家に連れられて西国に落ちた後、皇位継承の有力者であったが母親の身分が低く、かつ外祖父が死亡していた事、弟の尊成親王(後の後鳥羽天皇)の方が祖父の後白河法皇に可愛がられていた事から、皇位は尊成親王が継ぐ事になった。11歳で親王宣下を受け、4年後に元服して三品親王となるが、不遇を儚んで33歳で出家して以後は聖円入道親王と名乗った。和歌に優れており、式子内親王や藤原定家などの当代随一の歌人とも親交が深かった。新古今和歌集などの勅撰和歌集にも歌が収められている。
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