愛のメッセージ
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『愛のメッセージ』(あいのメッセージ)は「母と子のフジテレビ」時代の末期から80年代半ばに使われたフジテレビのイメージソング。1978年4月~1984年3月?の間の期間は放送開始及び終了時にも流された。
最初のフレーズは、吉田拓郎のヒット曲の一つ「私は今日まで生きてきました」にメロディーが類似しているといわれる。
作詞阿久悠、作曲都倉俊一のヒットメーカーコンビにより手がけられるが、1980年代の「楽しくなければテレビじゃない」路線に入るとともに放送回数は激減した。また70年代末期のFNS歌謡祭のエンドでも歌われていた。 クロージングにおいては後継曲の「I・愛・eye」と平行して使われていたが、オープニング版は1980年代に入ってすぐにお蔵入りした可能性がある。同時期の他局のオープニング等は発掘されているが、なぜかフジだけはないので真偽は分からない。しかし、クロージングでは1982年当時も流されていたことが確認されているため、「母と子のフジテレビ」時代終了後もしばらくは放送されていた(1984年春まで放送されていたとの証言もあるが定かではない)。
- オープニング 富士山と朝日をバックに「愛のメッセージ」のテロップ。子供が草原を駆け回る映像と共に歌が流れる。エンドは富士山からズームでフジテレビ旧ロゴと8マーク。
- クロージング(インストルメント) 箱根彫刻の森美術館の「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」のステンドグラスをバックに「愛のメッセージ」のテロップ。ピカソ、ヘンリームーア、カール・ミレス等の作品をバックに曲が流れ、エンドは「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」の全景からズームでフジテレビ旧ロゴと8マーク。