打鍼術
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打鍼術
- 御薗意斎によって発案された鍼(治療につかう針)の刺入法。小さな槌をつかって、五寸釘のような太い鍼を刺す。他の刺入法とちがって、鍼が太いので、本来はごく浅い刺入しかしなかったのではないかと推測される。後述する夢分流とことなり、御園流(意斎流)の鍼は、身体各所に行っていたようで、管で細い鍼を刺入する杉山流と比べると相当痛い。江戸中期以降は、管鍼を使う杉山流が大きく流行し、御園流(意斎流)の鍼は衰退してゆく。
- 夢分流の鍼は、腹部を中心に鍼治療を行うため、手足のような敏感な部位への刺入には不向きである。よって腹部中心に治療を行うため、現代のような按摩・マッサージのような鍼とは大きく異なり、五臓を病の原因ととらえ、これを調整することで治療を行うというもの。現代の経絡治療と考え方は似ているようで、腹のみに治療するということから、治療を成功させるには大きな説得力がいる。
- 柳谷素霊によって、実用化された打鍼術も夢分流によるものであるが、柳谷自身が、腹部のみで治療するという考え方を持っておらず、古代九鍼や『霊枢』の五刺・九刺など、多くある刺入法の一つとしか見ていない。
- 柳谷素霊以降、柳谷の弟子達による打鍼術の再利用化がはぐくまれたが、如何せん腹のみで治療するというスタイルはオカルト的印象をぬぐいきれていない。
- 現在、腹部打鍼を最も実用しているのは、北辰会である。ただし、実用化するために、本来は鋭利だった鍼の尖端を極端に丸めた専用の鍼を発案している。現在、尖端の丸い鍼で、腹部に打鍼をするというスタイルは、北辰会方式そのものであり、北辰会の会員でない者も実際は大きく影響を受けていることを知るべきである。