振分部屋
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振分部屋(ふりわけべや)とは、日本相撲協会に存在した相撲部屋のひとつである。
昭和になってからは、11代の親方(元高砂部屋所属の浪ノ音)が部屋を経営し、幕内鷹城山多作(春秋園事件で繰り上げ入幕)、十両陸奥錦秀二良を育てたが、1941年から、玉ノ井を襲名していた養子の陸奥錦に弟子を全員ゆずり、振分部屋はいったん消滅した。しかし、すぐに陸奥錦は弟子を返し、1942年から1947年までふたたび看板をかかげた。
11代が停年で協会を去ったあとは、13代目を襲名した横綱朝潮太郎 (3代)が、1962年から1964年にかけて高砂部屋から独立したが、ふたたび高砂部屋にもどった。