振武寮
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振武寮(しんぶりょう)とは、福岡の旧日本軍陸軍第六航空軍司令部内におかれた施設のことである。軍司令部のあった福岡高等女学校(現福岡県立福岡中央高等学校)向かいである、福岡女学院の寄宿舎を接収して設置された。所在地の現住所は福岡市中央区薬院4丁目14番地で、その跡地に九電記念体育館が建っている。
特別攻撃隊(特攻)に出撃したが、何らかの要因により攻撃に至らずに基地に帰還した特攻隊員が収監された施設である。 要因とは様々あり、悪天候・エンジントラブル・機器トラブル・敵機の攻撃のような外的要因から、内的要因まであった。
特攻隊員は、一方向・一回限りの攻撃であり、その原則を崩すと、隊員の士気に関わると考えた特攻隊の指揮官は、これらの帰還特攻隊員を他の特攻隊員はもちろん一般軍人・一般市民からも隔離するべしと命令を下している。
すなわち、帰還特攻隊員は帰還の直後に福岡の司令部に出頭命令が下り、即座に振武寮に事実上の軟禁状態におかれることになる。 振武寮の日々は反省文の提出、軍人勅諭の書き写し、写経など精神再教育的なものが延々と続けられた。死んで軍神となるはずの特攻隊員が生きて戻ってきたことは激しく非難され人間の屑、卑怯者、国賊とののしられたという。振武寮の目的は帰還隊員にもう一度死を覚悟させて特攻に赴かせるものだった。このような過酷な待遇に隊員は精神的に追い詰められた。自殺を図るものも少なからずいたという。戦後解放され、帰郷したものの、人格がすっかり変わってしまう者が多かった。
しかし、近年の調査・研究によると振武寮に収容された特攻隊員の多くが1~2週間程度、最短では3日程度で他部隊への転属または元所属部隊へ復帰したとの記録も残っており、上記に示すような懲罰的要素を主とした施設ではなく、隊員の休養を目的とした保養施設ではないかとの見方もある。 いずれにしても、当時を知る関係者の多くがこの世から去ってしまっている上、実際に収容された経験を持つ人物の証言はない(上記の多くが収容する側の立場の人間の証言、または伝聞である)ようであり、真相については不明な点が多い。
振武寮に関する公的資料は現時点に至るまで皆無であり、また振武寮の存在は当時の軍の機密事項に属したため、今でも知る人は少ない。振武寮が存在した期間は昭和20年の5月から6月頃までの1月半ほどで、約80人ほどが収監されたといわれている。また、振武寮そのものも、昭和20年6月の空襲で焼失したともいわれており、どのような間取りで、どのような生活環境で、仮に保養施設であったとして、どのような娯楽施設があったか、それも分からないままである。
NHKの番組、ETV特集『許されなかった帰還 ~福岡・振武寮 特攻隊生還者たちの戦争~』(2006年10月21日 22:00~22:45放送、NHK教育)の中で収監された元特攻隊員と特攻作戦および振武寮を指揮統括していた第六航空軍元参謀の証言が紹介され、その実体の一部が明らかになった。
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