明月記
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明月記(めいげつき)は、藤原定家の日記。国宝に指定されている。 京極中納言藤原定家が、治承4年(1180年)~嘉禎元年(1235年)の56年間にわたり克明に記録した日記であるが、日記としての価値以上に、歴史書、科学的記録としても価値がある。ただし、漢文で記されていて難解な部分が多い。
また、定家自身の体験に基づいていない記録も含まれ、例えば1054年のかに星雲の超新星爆発は、定家誕生以前の出来事であるが、伝え聞いた内容として以下のように記載されている。
- 「後冷泉院・天喜二年四月中旬以後の丑の時、客星觜・参の度に出づ。東方に見(あら)わる。天関星に孛(はい)す。大きさ歳星の如し。」(原文読み下し)
日記の主な部分は冷泉家時雨亭文庫に残り、東京国立博物館・京都国立博物館・天理図書館にもある。 また和歌および書道の上での定家への異常な尊崇から広く分散し掛け軸などとして諸家に分散しているものも少なくない。
[編集] 明月記 徳大寺家本
もっとも原本に近いとされる写本。これまで、明月記として一般に研究対象になっていた。