ノート:易経
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なかなかいい感じに編集されていると思います。トップのさわりの部分に、「または『周易』と言い…」と一言添えていただきたいと思います。 それから成立の部分をもう少し太らせるため、易はもともと儒教となんら関係なく、史記に日者として記されているような、「聖なる俗」人によって行われていたこと。左伝に記述が見られることから、このころ北方人の間に広まっていたらしいことにも触れておきたいところです。それから「聖人の書」ではないことを、もう少し強調しておいたほうが。 また「漢易(象數易)」と王弼についても易を解説するうえで、避けることはできません。漢儒の京房や梁丘賀、管輅や虞翻らがさまざまな予言をしたのは、数学的要素の強い漢易によって占っていたからです。その代表的な成果は後漢の鄭玄の注でした。 三国魏の天才・王弼が老荘玄談の要素を大幅に持ち込んで、周易解釈を一新しました。二注は六朝期にそれぞれ南北に別れて行われましたが、唐代に五経正義がまとめられた際、王弼の注が採られたため、鄭玄の注は滅びました。その後、易は君子人の教養書・箴言集的な色彩が強くなり、占いとしての生命は杜絶します。今日、道端で筮竹を取って占っているのは、宋代に朱熹が想像をたくましくして復活させたものです。 易経の注釈書は無数にありますが、ぜひ唐の李鼎祚の『周易集解』を。後人としては、明の王船山、清の毛奇齢・恵棟を。 完成を期待しています。