春日康利
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春日 康利(かすが やすとし)は、元早稲田大学ラグビー部FW。 後藤禎和(都立日比谷高)と「都立高校大コンビ」と称された選手である。ポジション:FW・4番ロック
[編集] 略歴
- 東京都立大泉高等学校卒。
- 1986年(昭和61年) 早稲田大学入学
[編集] 戦績
後藤禎和(日比谷高、元ヤマハ主将、現・早稲田大学コーチ)と「都立高校大コンビ」と称され、1989年度大学選手権で優勝。 当時の早稲田大学は前々年度に東芝府中を破り、日本一に輝いた最強チームであった。 堀越正巳(熊谷工、現・立正大学監督、元・神戸製鋼)、今泉清(大分舞鶴高、元サントリー)、藤掛三男(佐野高、元ワールド / のち泥成弥がウィング13番に座る)ら、「三羽烏」の活躍により、当時の学生最強チーム・明治大学を久々に破るなど、一気に国内のラグビー人気に灯を点けた。1989年度大学選手権決勝でも、日本体育大学を相手に、フルバック今泉、日本代表ウィング郷田正(筑紫丘高)、スクラムハーフ堀越、スタンドオフ前田夏洋(修猷館高)のハーフ団、FWの要のロック4番春日・5番後藤の「都立大コンビ」、ナンバー8清宮克幸(茨田高、現・早稲田大学監督、元サントリー)らを要に擁し、45-14の大差で破ることになる。ただし、日本選手権では、林敏之、大八木淳史、平尾誠二らの当時の社会人ラグビーの常勝軍団・神戸製鋼に4-58で叩き潰されてしまった。
また、この時代が学生ラグビー人気の頂点を極めたころで、以後、社会人ラグビー各チームの強化により学生チームが徐々に歯が立たなくなってきたこと、この年(1989年)にスコットランド代表チームを破るなど、一端縮まったと思われた日本代表チームと世界との力の差が、その数年後には更に開いていったこと・・・などなどから、現在では観客席もチラホラと空席が目立つようになってきた。