昭和女子大事件
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昭和女子大事件(しょうわじょしだいじけん)は、私立大学の退学処分を受けた学生が、処分が憲法違反であることを理由に身分の確認を求めて争った事件。日本国憲法に定められた人権規定の私人間効力について争われた事件。最高裁判所昭和49年7月19日判決。
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[編集] 概要
被告である昭和女子大学によれば、1961年(昭和36年)10月20日頃から、学内で無届の政治署名運動を行なったり、無許可で学外団体に加入した学生がいることが判明した。昭和女子大学は本人および父兄などに連絡をとりながら3ヶ月余にわたって説諭を続け、出来るだけ穏便に解決するよう努力を重ねたが(当該の学生側は)一向に反省の色がなく、そのうえ週刊誌や放送あるいは公会堂で事実を歪曲した手記を発表したり、事実無根のことを訴えるなど、公然と昭和女子大学を誹謗する活動を続けたので、1962年(昭和37年)2月12日、2名の学生をついに退学処分にした。
昭和女子大学は、保守的な校風を持つ大学として学生指導を行い、学則の細則として「生活要録」を定めていた。その中には、「政治活動を行う場合は予め大学当局に届け、指導を受けなければならない」旨の記載があったため、原告の学生2名はこれに抵触した。これに対して原告2名が昭和女子大学の学生の身分確認を求める訴えを起こしたのがこの事件である。一審は請求を認容したが、二審は一審判決を取り消し、請求を棄却した。そこで、学生側は、昭和女子大学の「生活要録」そのものが、思想や信条の自由を謳った日本国憲法に違反すること、退学処分が違憲であることなどを理由に上告した。
[編集] 最高裁判決
最高裁判所第三小法廷は、全員一致で上告を棄却した。判決では、三菱樹脂事件をひいて憲法の規定は私人間に類推適用されるものではないとし、退学処分は懲戒の裁量権の範囲内である、とした。これらの判決に対しては思想・信条の自由を謳った日本国憲法の精神を踏みにじるものであるとする見方も強い。
[編集] 関連項目
- 日本国憲法第19条(思想及び良心の自由)