曽根幸一
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曽根幸一(そねこういち、1936年 - )は日本の建築家の一人。 静岡県出身。息子は国際的なアーティストの曽根裕。
- 1959 東京芸術大学建築科卒
- 1961 東京大学工学部大学院修士課程修了
- 1964 東京大学都市工学科助手
- 1967 東京芸術大学建築学科講師(この間、東京大学丹下研究室で各種の設計に従事)
- 1968 環境設計研究所を設立・主宰 (現、曽根幸一・環境設計研究所)
[編集] 作品
- 日本万国博覧会基幹施設レイアウト(1969年、大阪市)-日本建築学会特別賞
- 同計画の延長として「動く歩道と7つの広場」を設計
- 長岡市民体育館(1991年-,長岡市)-日本建築士会連合会賞最優秀賞
- 多摩市立複合文化施設(パルテノン多摩)(1992年、多摩市)-公共建築賞優秀賞
- 幕張ベイタウン パティオス11番街(1997年、千葉市)-BCS賞
- 幕張ベイタウン・パティオス(1999年、千葉市)-グッドデザイン賞・アーバンデザイン賞
- 幕張ベイタウン・マリーンデッキ(2002年、千葉市)-グッドデザイン賞
- 富山県総合運動公園全体計画、同陸上競技場(1993-2000年、富山市)
都市デザインの観点から建築を捉える姿勢をとっている。建築を都市・環境のファブリックの一部と考えることから、建築の設計のみでなく、土木・造園・ID・アートなど他領域とのコラボレーションやマネージメントそのものを業務とする場合もある。