ノート:朝鮮通信使
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雨森芳州についてもひとことお願いします。Mishika 2004年9月4日 (土) 19:06 (UTC)
うーん、いちいち関連のあった儒家に言及するのは全部の通信使に言及することになりかねませんから……。現状でざっとした知識は入手できるんでいいんじゃないですかね?Commonsenses 2004年10月6日 (水) 14:40 (UTC)
冒頭の定義では、李氏朝鮮時代における「名称」とだけ定義されているのに対し、少し進んだ次の節では少々時代をまたいだ広義の歴史用語(?)としての「朝鮮通信使」が示されていますね。私はそのふたつの定義の中間を読んでいるほんのちょっとの間だけ解釈に戸惑ってしまいました。あるいはそれも一種の狙いかもしれないとも思ったのですが、最初にふたつ一緒に書いてあってもいいのかなあと思いました。細かくてスミマセン。。Mulukhiyya 2005年9月20日 (火) 12:53 (UTC)
[編集] 記述変更の件について
①「両国が友好関係にあった室町時代の前例に則って、徳川幕府からの要望で称され」を削除した事に関して
- 削除した理由が分かりません。なぜでしょうか?
- 通信使は室町時代からあったものですから、江戸期に書くべきでしょうね。書くとすればですが。どちらにせよ冒頭に書くことでありません。
- 気付きませんでした。江戸期に書くべきですね。あと署名も忘れてました。--阿修羅 2006年4月28日 (金) 11:34 (UTC)
②「外交権を制限されていたためでもある」に関して
- 「通信使」と言う名称は、当時朝鮮から中国に派遣されていた「正朝使」や「謝恩使」と同じく、正式な国使であります。また、もし、本当に外交を制限されていたなら、足利義満からの「日本国王使」の受け入れも拒絶したはずですではないでしょうか?
- 手元に資料が見つかりませんので、この文章は戻してもいいでしょう。
- では、ここは差し戻しということで--阿修羅 2006年4月28日 (金) 11:34 (UTC)
③「李氏朝鮮では儒教思想によって職人階級に対する差別があったことが原因である」に関して
- 李氏朝鮮の正式な身分階級は「良民」と「賤民」の二種類しかなく、陶工などの職人は、個人個人の事情により良民に属する「常人」や賤民に属する「奴婢」などに分かれておりました。職人の全員が単一の身分階級を形成していたわけではありません。よって、職人の個人個人が置かれていた状況によって待遇は大きく違っていたので、この文は正確ではないと思います。
- 階級云々ではなく、儒教思想による手を動かすこと、身体を動かすことを生業とする職人に対する差別は今現在の朝鮮半島にも存在していますが?
- ですので李氏朝鮮での待遇と比較して書くのなら誤解が無いように「階級」を抜かして、その他に「冷遇」もいれて「「李氏朝鮮では儒教思想によって職人に対する冷遇や差別があったことが原因である」とした方が良いと思いますがいかがでしょうが?--阿修羅 2006年4月28日 (金) 11:34 (UTC)
- 水車
揚水式水車じゃなくてもいいんですかねぇ? まあ、普通の水車がなくてもいいけど。
- あ、揚水式水車に対して意見はありません。消してしまって申し訳ありません。--阿修羅 2006年4月28日 (金) 11:34 (UTC)
- 一種の見世物という記述
『一種の見世物』という表記は料金の有無とは明らかに関係ありません。
- そうですね。私の勘違いです。--阿修羅 2006年4月28日 (金) 11:34 (UTC)
- 豊臣秀吉に派遣された通信使について
なにも考えずにrevertすることをやめてください
- これも消してしまって申し訳ありません。--阿修羅 2006年4月28日 (金) 11:34 (UTC)
[編集] 李氏朝鮮側の視点による朝鮮通信使
- 「日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって、通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした。」
- 李氏朝鮮側の視点を描くのに現在の韓国の教科書にある嘘をそのまま引用しなくてもいいんじゃないですか?当時の通信使から何かを学ぼうと懸命になるのは儒学者ぐらいじゃない? --Ypacaraí 2006年8月26日 (土) 00:40 (UTC)
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- この部分を一番最初の形に差し戻したので、どなたか引用の部分が引用であると分かる形式にしてください。幾ら節の見出しが李朝POVを明記しているからといって引用は引用であると分かる様にしておいてください。 --Ypacaraí 2006年11月3日 (金) 03:36 (UTC)
[編集] 貨幣経済について
また、基本的に日本人を「倭人」として見下す者が少なくなかったが、京都、大阪、江戸といった都市の絢爛豪華さや、乞食が食物ではなく銭を欲しがるような貨幣経済の発達に対して驚きの声を上げている。(李氏朝鮮では、その末期においても都市部で中国の銅銭が流通していた程度であり、最後まで貨幣経済と呼ぶに足るものが成立せず、物々交換が主であったため)
イタリックの部分が、「関連性が不明瞭。」ということで、コメントアウトされているようですが、なぜ、そう言えるのでしょうか。「(物々交換が主であった朝鮮人が)貨幣経済の発達に対して驚いている」と言う風に私は受け止めました。それならば、なぜ朝鮮人が驚いたのかが説明してある、ごくごく普通の文章だと思うのですが、どうでしょうか。また、同様に、「日本人を「倭人」として見下しながらも」が、上記の通り「日本人を「倭人」として見下す者が少なくなかったが」に再三書き換わっています。そこいらの正誤関係は資料がないので何ともいえませんが、「見下すものが少なくなかった」ということは、「対等と考える者もいた」ということでしょうか。そのように扱ったという資料の提示を求めます。Bow 2006年9月15日 (金) 13:33 (UTC)