本間宗久
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本間 宗久 (ほんま むねひさ、享保九年(1724年) - 享和三年(1803年))は出羽国、現在の山形県酒田市の生まれ。江戸時代の相場師。
[編集] 概要
23歳の時、酒田の豪農本間家の養子となる。
大阪の米相場で才能を発揮。後に江戸に移り、ここでも成功し、「相場の神様」「出羽の天狗」と称される。その活躍ぶりは、『酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵米雨が降る。』『本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に』といった唄が流行るほどであった。
この成功によって、江戸中期以降、財力で日本一と言われた本間家の基盤をつくりあげた。
[編集] 手法
本間宗久は酒田六法を考案し、チャールズ・ダウと並んでテクニカル分析の先駆者の一人として名高い。彼の生きた時代から200年以上がたった今もなお、その手法は有効であるとされている。
「宗久翁秘録」「酒田戦術詳解」「本間宗久相場三昧伝」といった書物が、宗久の手になるものとして現在に伝わるが、明治以降にまとめられたものとの説もある。また、ローソク足の考案者であるとの説もあるが、これに関しても疑問が多い。