ノート:村山富市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
以下の箇所に修正を行いました。議論は歓迎、無言リバートはご容赦下さい、といったところです。
- 日本が戦前、戦中に行ったとされる「侵略」や「植民地支配」について認めた。
- 村山談話全文でも「ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」とあるので、これは公式に謝罪したと解するべきでしょう(なお私Gloucesterがこの「謝罪」に同感しているという意味ではありません)。
- 日本国政府の公式の歴史的見解とされてしまっている
- まず歴史見解であって歴史的見解ではないという瑣事があります。それと「されてしまっている」という文はいわゆるPOVで、百科事典として相応しくないと考えます。もっとも、これが「日本政府の公式歴史見解である」と言い切るのも傍証不足ですので、とりあえず「日本国政府の公式歴史見解として扱われている」とします。
- 反日的な歴史観を国是としている中国、韓国
- 中国、韓国に反日的歴史観を持つ者が比較的多いのは事実でしょうが、それが国是であるとも思えませんので同部分を削除しました。--Gloucester 2006年1月3日 (火) 13:21 (UTC)
その意見は一方的ですね、自国のガス抜きの為に定期的に反日をあをっているのに、現実を直視せずに無責任な発言は慎んだ方が身の為かと。
- 私の議題提案喚起が無視されました。協調性がない人がWikipediaにいたら困るんですよねえ。--経済準学士 2006年1月3日 (火) 13:33 (UTC)
- 議論に参加しないユーザに関して3rrとなりましたのでWikipedia:投稿ブロック依頼/純潔主義を提起いたしました。--秋の虹 2006年1月3日 (火) 14:10 (UTC)
- 秋の虹さんの暴れ模様も是非御覧下さい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E7%A7%8B%E3%81%AE%E8%99%B9 --とにもかくにも
[編集] ノートに記入すべきことでは?
- 記事冒頭を見ると、本来ノートに記入すべきことが本文中に記入されていたので、該当箇所をこちらに移しました。
◎↓ノートに書くべき部分
↑
根拠のない俗説に過ぎる。
社会党は、古くは西尾・河上・江田・田らの時代から右派はずっと現実政策を志向してきた。[要出典]
そして、石橋正嗣委員長時代に、中間派、一部左派をも含めて、抵抗政党・反対党から政権政党・統治政党への脱皮を目指して、中間左派主導の執行部自ら、本格的な政策転換を図ってきた。自衛隊違憲合法論、自衛隊違憲法的存在論から、ニュー社会党の新宣言で、社会主義協会の「道」を歴史的文書として葬った。[要出典]
先祖帰りだった土井たか子委員長ですら、より左派の岩垂代議士のアドバイスを受け、防衛・外交・安全保障政策の見直しに着手していた。[要出典]
村山は、その最終的に総仕上げをしただけに過ぎない。 [要出典]
そして、確かに古い社会党支持者、左翼、反戦平和主義者らの支持は失ったものの、社会党など旧革新・中道、つまりは非保守勢力が政治勢力として支持を失い、溶解していったはひとえに小選挙区制の政治力学による。 [要出典]
それぞれが、何を勘違いしたか、小沢一郎らに騙され、自らネズミの集団自殺の道を選択し、日本から社会民主主義・民主社会主義・自由派社会主義の路線、つまりは「揺り篭から墓場まで」の福祉国家路線の可能性が消えうせてしまったのだ。[要出典]
政治的勢力に消長・盛衰・衰亡は、そんな情緒的なことで決まるのではない。 なにがしかの力学構造に心ならずも組み込まれた時、大きな変化が生まれるのだ。[要出典]
◎↑ノートに書くべき部分—以上の署名の無いコメントは、219.103.205.107(会話/whois)氏が[2006年10月28日 (土) 02:19 (UTC)]に投稿したものです。