東京・柳島自転車商一家殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京・柳島自転車商一家殺人事件(とうきょう・やなぎしまじてんしゃしょういっかさつじんじけん)とは 1915年(大正4年)3月30日に発生した強盗殺人事件である。犯人は後に15歳の少年であることが判明したが、警察は事件とは無関係な人物を起訴し、冤罪事件を生じさせたうえに、少年を検挙できなかったために更なる犠牲者を出すに至った。(なお、ここでは人名は全て匿名とする)
目次 |
[編集] 事件の概要
東京市(当時)本所柳島元町の自転車商(当時34歳)の一家4名が惨殺され、金品が奪われていた。同家には雇い人2名がいたが惨事には気付いておらず、一家は熟睡中を襲撃されたものであった。また現場は凄惨を極めていた。
[編集] 冤罪
当初警察は雇い人を容疑者としたが無関係とわかり、世帯主の元妾が拘束されたがそちらもアリバイがあり釈放された。その後、警察は取引先の行商の男性(当時26歳)が事件を自白したとして起訴し、1915年10月15日に東京地裁は死刑を宣告した。被告人は控訴し2審の東京控訴院(現在の東京高裁)において、驚くべき真実が判明した。実は被告人は事件とは全く無関係であり留置場で同房のものから、警察が言うとおり自白すれば痛い目に遭わなくてすむ、真実は裁判で言えばいいのだとそそのかされたことが判明した。そのため被告人は死刑を宣告され驚愕したものであるが、そそのかしたのは悪い評判がある警察の密偵であり、警察が冤罪を作り出していたものであった。そのため新聞は警察を激しく糾弾することとなり、裁判所も無罪を言い渡し、事件は一時迷宮入りすることになった。
[編集] 真犯人
事件から5年後の1920年7月24日に、畑から窃盗した茄子を売っていた男性(逮捕時20歳)を板橋署が逮捕したが、毎夜うなされるため余罪を追及したところ迷宮入りしていた自転車商一家殺害を自白した。警察は慎重に捜査したところ自供通り被害者の女性の指輪を容疑者の母親が所持していたことが判明し、真犯人と判明した。また容疑者は最初の犯行当時は15歳の少年であったが、その後1915年4月に栃木県で少女を強姦のうえで殺害し、1916年7月に東京でやはり少女を強姦のうえで殺害していたことも自供した。少年はその後、死刑判決を受け、執行された。(なお、現在では少年法51条1項の規定により死刑にはならない)
[編集] 動機
少年は犯行当時、自転車商そばの汁粉屋に勤めていたが、自転車商は出前のツケをためては支払済みだといって払うことをしなかったため、少年はいつも汁粉屋の主人から金をくすねていると疑われた。そのため自転車商を恨んで一家を薪割りで殺害したうえで金品を奪ったのであった。