東大寺山古墳
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東大寺山古墳(とうだいじやまこふん)は、奈良県天理市に所在する古墳時代前期中葉の前方後円墳である。出土の鉄刀に金象嵌の文字24文字が刻まれていた。
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[編集] 概要
この古墳のある丘陵には、奈良県では最大規模の弥生後期の高地性遺跡がある。東西約400メートル、南北300メートルの範囲内に竪穴式住居があって、二重の空堀が巡り、空堀の構造は大阪府和泉市の観音寺山遺跡に共通している。この高地性遺跡と重複するようにして存在し、おそらくこの高地性遺跡の役割が終わって150~200年ほどの地に造営された古墳である。
[編集] 規模・形状
140メートル
[編集] 埋葬施設
木棺を覆った粘土槨があり、主要部分は盗掘を受けていた。
[編集] 被葬者
[編集] 副葬品
- 鉄刀20本、鉄剣9本などの武器類が残されていた。
- 鉄刀の中には、家形の環頭(かんとう)、つまり佐味田宝塚の家屋文鏡の図形と類似のデザインの環頭をつけた刀もあった。鳥文飾りの環頭を着けた鉄刀の背に「中平□□(年)五月丙午造作文(支)刀百練清剛上応星宿□□□□(下僻不祥)」の24文字を金象嵌であらわしていた。中平とは「倭国乱」(『魏志』倭人伝)「倭国大乱」(宋書)のさなかに当たる霊帝の時の年号で、元年から七年(184~190)まである。鉄刀に着けられていた環頭は日本製、しかも家屋文から、四世紀後半になっての大和かその周辺の製作とみられる。中平銘鉄刀をも含む五本の鉄刀の環頭は、様々な形をしているようであるが、基本的には楽浪の石巌里(せきがんり)の古墳で出土しているような環の中に三葉形を入れた三葉環である。三葉環の鉄刀は、福岡市の若八幡宮古墳(4世紀)から出土している。さらに中平銘鉄刀の環頭の上部には左右に一対の鳥の形を付けている、これは弥生時代後期の長崎県対馬のシゲノダン遺跡から出土している二つの鳥の首を付けた武器の金具のデザインに先例が見られる。つまり*
[編集] 外部リンク
東京国立博物館 特集陳列 東大寺山古墳の銘文大刀(2005年に行われた特別展示)