松平定邦
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松平 定邦(まつだいら さだくに)は、江戸時代の大名。陸奥白河藩の第2代藩主。
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 享保13年9月14日(1728年10月16日) | |||
死没 | 寛政2年6月7日(1790年7月18日) | |||
別名 | 久米次郎(幼名) | |||
戒名 | 寛光院殿刺史紹誉憐道大居士 | |||
官位 | 従五位下、従四位下、河内守 近江守、越中守、木工頭 |
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藩 | 陸奥白河藩主 | |||
氏族 | 久松松平氏 | |||
父母 | 父:松平定賢、母:烏丸光栄の娘 | |||
兄弟 | 弟:賢之助、妹(真田幸弘の正室) | |||
妻 | 正室:黒田継高の娘 | |||
子 | 1男3女(娘が松平定信の正室) 養子:松平定信 |
享保13年(1728年)、初代藩主・定賢の長男として生まれる。明和7年(1770年)、父の死去により後を継ぐが、すでに老齢のために早くから実権を養子の定信に譲り、天明3年(1783年)10月16日に養子の定信に家督を譲って隠居し、寛政2年(1790年)6月7日に江戸で死去した。墓所は東京都江東区白河の霊巌寺、三重県桑名市の照源寺。
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