松平頼誠
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松平頼誠(まつだいら よりのぶ、享和3年(1803年) - 文久2年8月13日(1862年9月6日))は、江戸時代の大名。陸奥守山藩の第5代藩主。水戸支流頼元系松平家6代。守山藩4代藩主・松平頼慎の長男。母は徳川治保の娘。
正室は松平頼説(常陸府中藩主)の娘、継室は徳川治紀の娘。子は松平頼茂(長男)、松平頼音(次男)、松平頼升(三男)、松平頼彬(四男)、松平頼邑(五男)。官位は従四位下、大学頭。
天保元年(1830年)、父の死により家督を相続。文久2年(1862年)死去し、三男・頼升が後を継いだ。
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