松永尺五
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松永 尺五(まつなが しゃくご(せきご)、文禄元年(1592年) - 明暦3年6月2日(1657年7月12日))は江戸時代の儒学者。京都出身。松永貞徳の子。名は昌三、字は遐年。戦国時代随一のフィクサーで茶人としても有名な松永久秀は尺五の曽祖父である。
藤原惺窩の門人で、儒学程朱学派に属する。林羅山・那波活所・堀杏庵とともに窩門四天王の一人。
幕府や藩に対して仕官はせず、京都に春秋館という私塾を設ける。その後、講習堂や尺五堂といった私塾も設営する。
[編集] 主な著書
- 一切経抜萃
- 大海一滴
- 彝倫抄
- 五経集注首書
- 四書事文実録
- 古文後集首書
- 尺五先生全集