桑原虎雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
桑原 虎雄(くわばら とらお、1887年10月26日 - 1975年6月5日)は、大日本帝国海軍軍人。中将。
[編集] 略歴
東京府立一中を経て、明治38年9月、第一高等学校を中退、明治42年11月、海軍兵学校37期。海軍大学校20期。
龍襄艦長、霞ヶ浦航空隊副長兼教頭、横須賀航空隊司令、航空廠飛行実験部長など経て、支那事変においては、第2・第1連合航空隊司令官として重慶爆撃に参加。大東亜戦争においては、第3航空戦隊司令官(昭和16年9月)、青島方面特別根拠地隊司令官(昭和17年4月)として参加した。1943年から1945年まで軍需省新潟軍需管理本部長。
1918年(大正7年)に横須賀にて、飛行機から魚雷発射のテストを先駆ける際に、同期の小沢治三郎らの支持を受けた。「航空魚雷」の先駆けを成す。