森重隆
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森 重隆(もり しげたか、169cm65kg、1951年11月6日 - )は、日本・福岡県福岡市のラグビー選手。ポジションはCTB(センターバック)。通称ヒゲ森。実家はガラス屋を営む。
[編集] 経歴
福岡県立福岡高等学校→明治大学卒業。中学時代はバレーボール部に所属。高校からラグビーをはじめる。それまでラグビー経験が無かったので遅咲きと言われたが、大学3、4年(主将)時代から将来の日本ラグビーを背負って立つ男と呼ばれた。大学卒業後は、地元の八幡製鉄(現新日鉄八幡から誘いがあったが、新日鉄釜石に就職する。主将・監督として当時タイの日本選手権連覇V4に貢献し、同社ラグビー部の黄金時代を築いたほか、ラグビー日本代表チームの主将も務めた。現在は故郷の福岡市博多区で株式会社「森硝子店」(ガラス屋)を経営するかたわら、東福岡高等学校ラグビー部監督・母校の福岡高ラグビー部コーチを歴任後、現在は監督を務めている。
- 日本代表キャップ歴28。誰よりも熱く、小さな体で強烈なタックルを身上とし、いつも顔や体から傷が絶えなかった。また熱いだけではなく理論家でもあった。
[編集] 情熱
釜石や日本代表の矜持を背負ってプレーしていると言われた人物。日本はもちろん、外国のプレーヤー間でも評価は高い。
- 「桜(ラグビー日本代表)を背負って立つ以上は、80分間気持ちを切らせてはいけない」
- 「タックルに行かんやつは絶対に許さん」
- 「仲間を助けないやつは、選手である前に、男じゃない」
自分自身への誇りや桜のエンブレムのために全身55針縫った男の言葉は、重い。
チーム作りの目標は「15人全員で同時にタックルを仕掛けること」である。(実際にはボールを持たない相手にタックルを行うことはできない)