沿海州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沿海州(えんかいしゅう)は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてロシア帝国が極東地域(極東ロシア)においていた州。州名の「沿海」はロシア語州名「プリモーリエ (Примо́рье)」、「プリモルスキー (Приморский)」の訳語である。 ロシア人と、ツングース系の先住民とが、混在する。8世紀には、渤海の版図となった。もともとは中国領であったが、1860年の北京条約で、ロシアが領有した。
ソビエト連邦時代の1938年に分割、改組されて沿海地方になったが、その後も日本語では慣用的にソ連・ロシア領のこの地域を指して沿海州の呼称が用いられた。現在、ロシア連邦の連邦構成主体のひとつとして存続している沿海地方を指しても沿海州ということがしばしばみられるが、ロシアの行政用語で「州」と訳されるオブラスチ (о́бласть) と、沿海地方の「地方」にあたるクライ(край) は訳し分けられる別々の単語であるので、現行の沿海地方を沿海州と呼ぶのは俗称というべきものである。
沿海地方に分裂される以前の沿海州は、極東ロシアの日本海沿岸、シホテアリニ山脈の一帯とハンカ湖沿いの平地を合わせた領域で、現在の沿海地方とハバロフスク地方南部を合わせたものであった。
李氏朝鮮末期から、咸鏡北道の農民が多数移住したが、スターリン時代に、「日本軍のスパイと区別がつかない」と中央アジアに強制移住させられた。現在、徐々に移住先から復帰し高麗人と称している。