法勝寺
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法勝寺(ほっしょうじ)は、平安時代から室町時代まで平安京の東郊、白河(現在の岡崎公園、京都市動物園周辺)にあった六勝寺のひとつである。白河天皇が承保3年(1076年)に建立した。天皇家から厚く保護されたが、康永元年(1342年)に火災にあって衰微廃絶した。
法勝寺の地は藤原氏の別荘地だったが、藤原師実が白河天皇に献上した。天皇はこの地に寺院を造ることを決め、承保2年(1075年)に造営を始め、以後長期にわたって多数の建物を造った。1077年に毘廬舎那仏を本尊とする金堂の落慶供養が執り行われた。永保3年(1083年)に高さ約80メートルとされる八角九重塔と愛染堂が完成した。高い九重の塔は京に東から出入りする人から良く見えたという。
法勝寺は「国王の氏寺」と呼ばれ、代々の天皇家の尊崇を受けた。後に白河には他にも次々と寺院が作られ、総称して六勝寺と呼ばれた。法勝寺は六勝寺のうち最初にして最大のものであった。
承元2年(1208年)に塔が落雷で焼失したが、このときは栄西が大勧進になって再建した。南北朝時代の康永元年(1342年)に火災に遭うと、もはや再建されず、そのまま廃寺になった。