法心院
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法心院(ほうしんいん、天和2年(1682年) - 明和3年6月2日(1766年7月8日))は、江戸幕府6代将軍徳川家宣の側室。太田宗順(町医者)の娘。名はお古牟(こむ)。
元禄15年(1702年)に桜田御殿へ仕え始め、後に御中﨟に取り立てられる。宝永4年(1707年)に、家宣との間に嫡男(次男)・家千代を産むが、家千代は同年のうちに逝去(院号:智幻院)。
正徳2年(1712年)、家宣の没後に落飾した後は馬場先御用屋敷に住居す。その後、浜御殿に移る。明和3年(1766年)、85歳で死去し、林光院に葬られた。戒名は法心院遍浄至覚大姉。