泰範
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泰範(たいはん、延暦7年(788年) - ?)は、平安時代前期の真言宗の僧。出自については不明である。
奈良元興寺で出家した後、最澄に師事した。812年(弘仁2年)最澄の病気により比叡山総別当に任じられるが、山内の紛争により近江国髙島に隠遁した。812年(弘仁2年)の末に高雄山寺(後の神護寺)で空海に灌頂を受け、これ以後空海に師事した。空海が高野山を開創するにあたっては空海の弟子実恵(じちえ)とともに奔走し、最澄に再三比叡山に戻るよう請われたが、泰範が比叡山に戻ることはなかった。この愛弟子泰範をめぐって最澄と空海は決別するに至ったという。837年(承和4年)僧綱牒に東寺定額僧として泰範の名が見えるが、それ以降の消息については不明である。