浅井万福丸
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浅井 万福丸(あざい まんぷくまる、淺井 萬福丸、永禄7年(1564年)? - 天正元年(1573年))は、浅井長政の嫡男。母は織田信長の妹・お市の方。諱は輝政であると「浅井氏家譜大成」に記されてはいるが、本当に元服したかどうかは疑わしい。
長政とお市の方との間に生まれた嫡男と言われている。ただし、長政はお市以外に側室がいたとも言われており、その側室との間に生まれた息子ではないかという説もある。1573年、信長の攻撃によって浅井長政が滅亡した後、長政の家臣団によって万福丸は落ち延びていたが、信長の探索によって捕らえられた。お市の方は助命を嘆願したが、生かしておいては後の災いになることを恐れた信長によって、万福丸は磔に処されてしまったのである。享年は10くらいではないかとされている。