ノート:無条件降伏
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近年「日本は降伏の条件を認めて降伏したのであり、これは有条件降伏(ゆうじょうけんこうふく)である」と言う珍説が現れているが、って珍説といいほどおかしいのですかですか? —以上の署名の無いコメントは、61.192.151.195(会話/whois)氏が[2005年6月21日 (火) 12:58 (UTC)]に投稿したものです。
「無条件降伏でなかったという説」と言うのは、いったい誰が言い出したのでしょうか?インターネットで稀に見られる言説ですが、この説を著名人が言い出した訳ではなく、インターネット上でしか扱われない珍説なら載せる価値なんて無いと思いますが。降伏の形式がどうであろうと戦後日本の現状を鑑みれば、無条件降伏を行ったと言って何ら問題ないものですし。無論、ちゃんとした有識者が言った説なら全然問題無いですが、それは誰なのかの明記が必要です。222.149.22.251 2005年7月4日 (月) 13:09 (UTC)
- 2006年4月13日 (木) 08:41以降の版は、無条件降伏に関する見解に非常に主観的な主張や、感情的な言説が含まれる傾向が生まれだしているようでしたので、純粋な両論併記の形態であるこの版まで内容を戻させていただきました。一部に一方の説を詭弁や右翼の珍説との主張を Wikipedia で表現なさりたい方が居られるようですが、平成12年03月23日、第147国会衆議院憲法調査会において、参考人として呼ばれた高橋正俊香川大学法学部教授は、この様に語っておられます。
- 日本が受諾いたしましたポツダム宣言というものは、実は本来、いわゆる条件つき休戦条約であったと考えられております。
- どうして条件つき休戦条約であったかといえば、これは実はポツダム宣言をアメリカ側で制定する過程を調べてまいりますと、特にその起草に深くかかわった国務省内で二つの勢力、いわゆる中国派と言われる人たちと、日本派もしくは知日派と言うべきなんでしょうが、知日派と一応名づけておきますが、その勢力が激しくぶつかっております。そして、その結果、ポツダム宣言が形成される段階におきまして、七月二十日のことだというふうに言われておりますが、それまで草案二項の中に、日本の無条件降伏までということがうたわれておったわけですけれども、それが、日本が抵抗をやめるまでというふうに変更されておりまして、国家としての無条件降伏という言葉が消えております。日本の軍隊の無条件降伏だけが残る、こういうことになるわけですね。
- 実際、そのように意図したようでございまして、ここでは、したがってポツダム宣言というのは、本来、条件交渉を認めない条件つき休戦条約、そういうふうなものになった、そしてそのように理解されておったということでございます。
- http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/147/0089/14703230089005a.html
- 鶴田 2006年5月23日 (火) 19:27 (UTC)
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- IPアドレス58.91.116.7 からのアクセスの主は、どうしてもここで自己の見解に基づく主張を行いたいようだけど、ノートの方は見てないんだろうか。ここで再編集しても、馬鹿げた編集合戦に陥りかねないし、ノートを見てないとしたら、いったいどうしたものか。鶴田 2006年5月23日 (火) 20:26 (UTC)