牛尾城
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牛尾城遠景 | |
通称 |
三笠山城 |
城郭構造 |
連郭式山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
牛尾氏 |
築城年 |
室町時代か |
主な改修者 | |
主な城主 |
牛尾氏 |
廃城年 | |
遺構 |
郭、土塁、石垣、虎口、井戸 |
位置 |
目次 |
[編集] 概要
牛尾城は、牛尾氏によって築かれた山城。牛尾氏が有力国人として尼子家中で重きをなしたため、同氏の居城である牛尾城も尼子十旗の一つに数えられた。
[編集] 構造
両脇を深い谷で囲まれた尾根の先端付近に占地し、最高所の三笠山までの尾根上に郭が連なる。山頂の郭には尾根筋側に土塁が存在し、この郭が主郭と考えられている。
牛尾城の背後に続く尾根筋は八雲山を経由して熊野城に繋がり、両城は尾根伝いに連絡した。
[編集] 沿革
- 応仁の乱後、京極氏に従った牛尾氏により築城された。
- 天文 (元号)11年(1542年)、大内氏が出雲に侵攻すると、牛尾幸清は富田城の守備に当った。
- 永禄6年(1563年)、毛利氏が富田城に迫ると、幸清・久信父子は富田城に入った。
- 永禄9年(1566年)、城内の兵糧が底を突き、幸清・久信父子も毛利氏に降った。
- 永禄12年(1569年)、挙兵した尼子残党勢に牛尾幸信が合流し、牛尾城に拠った。
- 元亀元年(1570年)、布部山の戦いで尼子勢は惨敗を喫し、牛尾城も毛利輝元に攻められ落城した。