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牟漏女王(むろのおおきみ 生年不詳~天平18年(746年))は日本の皇族。美努王と県犬養橘美千代の子で、橘諸兄・橘佐為の兄弟。藤原房前に嫁ぐ。母三千代と同じく宮廷に出仕し、後宮の高官になる。位階は正三位。興福寺のかつての本尊であった『不空羂索観音像』は、天平17年(747年)に死去した藤原房前の追善の為、子の藤原真楯等と造立したもの。
[編集] 血縁
- 父:美努王
- 母:県犬養橘三千代
- 兄:橘諸兄
- 兄:橘佐為
- 夫:藤原房前
- 子:藤原永手
- 子:藤原真楯(旧名「八束」)
- 子:藤原御楯(旧名「千尋」)
- 子:藤原袁比良(夫:藤原仲麻呂)
- 子:北殿(夫:聖武天皇)