猿啄城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
猿啄城(さるばみじょう)は、現在の岐阜県加茂郡坂祝町勝山にある、室町・戦国時代の城である。別名猿ばみ城、猿飛城、勝山城。標高275.3mの勝山(城山)の山頂付近にある。
岐阜県と愛知県の境の木曽川の北に位置する。この付近の木曽川(日本ライン)は急流であり、周辺は山となっている。この為、飛騨国、東濃から美濃国、尾張国への重要な地点であった。
[編集] 歴史
- 築城時期は不明であるが、応永年間(1400年頃)、西村豊前守善政が築城する
- 1441年(嘉吉元年)、西村豊前守善政が祖母の法要の為城を留守にした際に、田原左衛門尉頼吉が城を略奪する。
- 1547年(天文16年、多治見修理が城を略奪する。
- 1565年(永禄8年)、織田信長が丹羽長秀を総大将として東美濃攻略を開始。丹羽長秀の先鋒である川尻鎮吉が
猿啄城を攻略し、落城。川尻鎮吉が猿啄城城主となり、城名を「勝山城」と改称する。
[編集] 現在
- 1997年(平成9年)12月、坂祝町が誕生100周年を記念し、二層城郭風の展望台が造られ、ハイキングコースとして整備されている。