琳瑞
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琳瑞(りんずい、文政13年(1830年)10月 - 慶応3年10月18日(1867年11月13日))は、幕末期の浄土宗の僧。父は細谷守福。名は房蔵。号は静岳・真空・祥道・道真。陸奥国村山郡の出身。
12歳で父を失い、17歳で陸奥国伊達郡桑折の無能寺で出家し、琳瑞と号した。1849年(嘉永2年)江戸に出て僧侶の風紀粛清を期して小石川伝通院の処静院に住した。また、儒学者東条一堂に師事して儒学を学び、高橋泥舟・山岡鉄舟など多くの志士と交流した。水戸藩主徳川斉昭に私淑し、尊皇攘夷の大義を主唱した。1863年(文久3年)幕府側に暗殺された清川八郎の遺骸を託され伝通院内に埋葬している。しかし1867年(慶応3年)10月18日、刺客に襲われて亡くなった。