生地鼻灯台
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生地鼻灯台(いくじばなとうだい)は、富山県黒部市の生地鼻に立つ中型灯台。白地に2本の黒いラインという目立った外観で、遠く滑川市からでも、肉眼で確認できる。また、日本海と富山湾の境界の役割も担っている。地元では、「越湖の灯台」とも呼ばれる。
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[編集] 歴史
- 1926年(大正15年)5月 生地町(現在の黒部市)が設置した「槍ヶ崎灯柱」(鉄造四角形やぐら形、高さ20m)が前身。
- 1951年(昭和26年)2月11日 海上保安庁により現在の灯台が設置、初点灯された。
- 1969年(昭和44年) 霧信号所が廃止される。
- 1992年(平成4年) 自動化により、無人化される。
[編集] 概要
- 航路標識番号 1290 [F7137]
- 位置 (北緯 36度53分52秒 東経 137度24分39秒)
- 塗色・構造 (白地に黒横帯2本塗 塔形 コンクリート造)
- レンズ (第4等フレネル式)
- 灯質 (単閃白光 毎10秒に1閃光)
- 実効光度 (21万カンデラ)
- 光達距離(16.0海里<約30km>)
- 明弧 334度から203度まで
- 高さ<地上~塔頂> (30.40m)
- 標高<平均海面~灯火> (32.47m)
- 初点灯 (1951年(昭和26)2月11日)
- 所在地 (富山県黒部市生地)
- 管轄 (海上保安庁第九管区海上保安本部)
[編集] 生地台場
生地鼻灯台の近くに生地台場がある。ここは、江戸時代末期、日本近海に外国船が出没するようになったため、江戸幕府は諸藩に海岸防備を命じ、加賀藩が1851年(嘉永4年)に造った砲台場。当時は、幅約8m、長さ約63m、高さ約2.5mという巨大なもので、5門の大砲が備えられていた。現在は、富山県の史跡に指定され、当時の姿に復元されている。
[編集] 関連項目
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