田宮虎彦
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田宮 虎彦(たみや とらひこ、1911年8月5日-1988年4月9日)は、昭和期の小説家。
神戸市に育ち、東京帝国大学文学部国文学科在学中から、同人誌『日暦』に参加し、小説「無花果」などを発表する。1936年、『人民文庫』創刊とともに参加するが、思想統制によりまもなく廃刊。その後、女学校教師などをしながら小説修業を続ける。 1947年に『世界文化』に発表した「霧の中」で注目され、小説家生活に入る。精力的に作品を発表し、1951年『絵本』で毎日出版文化賞を受ける。
1988年1月に脳梗塞で倒れ日産玉川病院にて療養、右半身不随になり、同年4月9日、北青山のマンションから同居人である旧友の子息の不在中に投身自殺する。享年77。墓所は多磨霊園。
父は高知市、母は香美郡香宗村(現・香南市)の出身。高知へ帰ることも多く土佐を郷里と意識していた。 「足摺岬」など土佐を題材とした作品も多い。
暗い体験を越えた一途な人生の願望を清冽な叙情でつづった。その私小説世界は、いまなお多くの心を捉えている。
[編集] 代表作
- 霧の中
- 落城
- 絵本
- 足摺岬
- ある女の生涯
- 愛のかたみ
- 異母兄弟