ノート:真田昌幸
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少々気になるのですが、真田昌幸を戦国大名と定義してしまうのは適当なのでしょうか?真田氏が大名化を果たすのは豊臣政権時代であって、豊臣大名であっても果たして「戦国大名」であろうかと疑問が残るのですが。--でここ 2006年10月2日 (月) 08:26 (UTC)
[編集] 上田領及び依田氏について
本文中に依田氏が真田氏の与力であったような記述がありますが、少なくとも天正壬午の乱以前に依田氏が真田の与力であったことはない筈です。与力になったのだとしたら、徳川に従った時期に調略したときです。また、上田を真田が切り取ったような記述がありますが、武田期より真田の領地として認められていました。また武藤家の養子になったのも、真田が準譜代としての扱いを受けていたこと(上野国箕輪城代に父・幸綱がなっている)や、有力国人の子弟を旗本に召して中央集権化を目指した信玄の方針によるもので(例として山県、馬場、土屋等)個人的籠愛等の理由というのはいささか俗説的だと思います。Nubolari 2006年10月16日 (月) 14:53 (UTC)
- 「我が目」と寵愛したというエピソードの部分ですが、わたしが加筆した際にも典拠を調べたのですが、見つからなかったのでそのままにしておきました。どうも人物伝記事、それも戦国時代となると著名なエピソードがただ加筆されてしまう傾向にあって、それが同時代のものなのか後世の説話なのか吟味がされていないように思われます。--でここ 2006年10月20日 (金) 06:27 (UTC)
どうやら編集合戦が起こっているようですが、ノートで少し話し合われてみてはいかがでしょうか?--でここ 2007年2月6日 (火) 07:08 (UTC)
私は石田三成のノートなどでも、私の書き込みに対する勝手な削除はやめて、議論なら受けて立つと明言しています。しかし、一切返事がなく、他の関係する人物すべてにおいて実力行使で私の書き込みを勝手に削除するという暴挙に出ており、それを私が元に戻している状態です。これは編集合戦ではなく、相手側の一方的な荒らし行為、削除行為です。なぜなら、私の書き込みが歴史的な真実であるということについてはその論拠となる史料に十分な自信がありますし、議論もするとこちらは言っているのですから。このことは管理人さんにも訴えています。これ以上何の返事もないなら、相手の方が俗説を盲信している荒らしと見ていいと思います。
勝手に削除されている方たちへ。自分の不勉強をたなにあげて自分の思い込みと違うからといって勝手に削除しないでください。私の書き込みはすでに白川亨さんが主張しているところです。反論があるならいくらでも議論としてこのノートで受けて立ちます。--歴史研究家 2007年2月14日 (水) 14:49 (UTC)