石丸利光
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石丸 利光(いしまる としみつ、生年不詳 ‐ 明応5年5月30日(1496年7月10日))は室町時代の武将。子に石丸利元、石丸利高。美濃国守護代・斎藤妙椿に仕え、船田城を本拠として、小守護代と呼ばれた。
[編集] 生涯
妙純に命じられ、近江国で斎藤利藤を追放する。文明12年2月21日(1480年4月1日))に主君・妙椿が亡くなると。斎藤氏に成り変わり、美濃国守護代へ就こうと企てる。先代・妙椿の後を継いだ主君・斎藤妙純を明応3年(1494年)12月、暗殺しようとするが、已む負えず取り止める。美濃国守護・土岐成頼の子・土岐元頼を擁立して、明応4年(1495年)6月 、船田合戦を起こす。
妙純の居城・加納城を囲むが、反撃に遭い、同族の石丸正信、馬場氏、国枝氏等に救援を求めるが、敗れ、船田城を焼き捨て、近江国の六角氏の許へ逃れた。明応5年(1496年)3月20日、斎藤方の隙を突き、細川氏、六角氏、北畠氏等の後援で、美濃国へ進行した。成頼の居城・城田寺城に篭城するが、斎藤方に城田寺城を囲まれ、石丸方の負けに終わる。同年、5月30日(7月10日)に自害する。
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