石田天海
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石田 天海(いしだ てんかい 、本名 石田定次郎 愛知県出身 1889年 - 1972年)は日本が世界に誇る大奇術師。
当時大人気を誇った松旭斎天勝一座の一人として、1924年にアメリカ合衆国巡業へ。そこでスピード感溢れるスマートなアメリカ人のショーに感銘を受け、お絹夫人とともにアメリカへ残留を決意。その後、1958年に帰国するまで30年以上にわたってアメリカショービジネス界で活躍した。演技者・天海の手先には「怪しさ」が感じられず、難易度の高い技法を完璧に、また自然な仕草で演じていた。
天海の「時計の取り出し」「煙草の手順」に適う者はいないと言われたほどの絶品。天海よりも先にその手順を演じていたカーディニに「模倣だ」として訴えられたことがあるが、仲介者を交えた行った演技披露対決に勝利したエピソードが有名。
クロースアップからステージに至るまで多岐に渡る業績を残し、また研究家としても数々のオリジナルマジック、技法、そして古典の改案などで活躍した。
ダイ・バーノン、ボウボウ、ハリー・ブラックストーン、チャーリー・ミラー、ハーラン・ターベルといった著名な奇術師と親交が厚く、現在でも海外で「TENKAI」の名は広く知られている。
また、テンカイパーム、テンカイ・アジャストメントジョグ、テンカイガードナームーブ、テンカイターン、テンカイチェンジなど数々の技法を考案し、 海外の有名なマジシャンにもかなりの影響を与えた。
日本では、天海の業績を讃え、後進を表彰する意味で石田天海賞が創立されていた(現在は停止)。年に一度、創作奇術で活躍した人間に与えられるもので、1967年から約30年間続いた。