神宗 (西夏)
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神宗(しんそう、1163年 - 1226年)は、西夏の第8代皇帝(在位: 1211年 - 1223年)。名は李遵頊。襄宗の兄弟の李彥宗の子であるが、桓宗や襄宗よりも年上だったらしい。
襄宗を廃立して即位。モンゴル帝国と講和すると今度は金に侵攻するが逆に負けたという。そのくせモンゴルから派兵を求められると断ったことからモンゴルから怒りを買ってこれが西夏滅亡の遠因になる。すっかり弱体化してしまった西夏軍は敗戦を繰り返し、打ち続いた戦乱によって国土は荒廃。民衆の怨嗟の声が満ち満ちたという。モンゴルの第四次西夏遠征を招くと息子の德旺に譲位。西夏唯一の上皇となった。その二年後に死去。
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