稲葉正備
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稲葉 正備(いなば まさなり、安永4年11月15日(1775年12月7日) - 文化12年3月8日(1815年4月17日))は、山城淀藩の第8代藩主。父は第7代藩主・稲葉正諶(正備は次男)。母は松平宗衍の娘。正室は阿部正倫の娘。官位は従五位下、従四位下、長門守、丹後守。
安永4年(1775年)11月15日生まれ。幼名は定之助。長兄が早世したため、世子となる。文化3年(1806年)、父の死去により後を継いだ。
文化12年(1815年)3月8日、41歳で死去し、後を子の稲葉正発が継いだ。
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