稲葉正守
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稲葉 正守(いなば まさもり、享和4年1月29日(1804年3月10日) - 没年不詳)は、山城淀藩の第10代藩主。第7代藩主・稲葉正諶の七男。正室は藤堂高巽の娘。子に娘(戸田氏彬室)。官位は従五位下、従四位下、丹後守、佐渡守、内匠頭。
享和4年(1804年)1月29日生まれ。幼名は鉄弥。文政6年(1823年)、先代藩主の稲葉正発が嗣子無くして死去したため、後を継いだ。天保9年(1838年)6月1日から天保13年(1842年)4月24日まで寺社奉行を務めている。没年はわかっていないが、天保13年(1842年)7月20日に次の藩主である稲葉正誼が後を継いでいる。
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