立花鑑虎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立花 鑑虎(たちばな あきとら、1646年1月1日(正保2年11月15日) - 1702年7月17日(元禄15年6月23日))は、江戸時代前・中期の大名。筑後国柳河藩の第3代藩主。父は第2代藩主・立花忠茂(鑑虎は四男)。母は伊達忠宗の娘・法雲院。正室は本多康長の娘。子に鑑任、娘(小出英益室)。
正保2年(1645年)11月15日、江戸にて生まれる。幼名は勝千代、大助。名は鑑虎のほかに直茂、広茂、鑑茂。寛文4年(1664年)、父の隠居により家督を継いで藩主となる。官位は従四位下。左近将監。侍従。飛騨守。翌年からは宗門改めを始め、さらには領内の検地を行なって家中には倹約を命じるなどして、藩の安定化に努めた。元禄9年(1696年)7月4日、隠居して家督を次男の立花鑑任に譲り、翌日には剃髪して英山と号した。元禄15年(1702年)6月23日に柳河にて58歳の生涯を閉じた。法号は雪峰院殿英山性俊大居士。
|
|
|