笑福亭福圓
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笑福亭 福圓(しょうふくてい ふくえん)は、上方落語の名跡。現在は空き名跡となっている。
元祖・福圓は初代笑福亭福松の門下に確認されているが、詳細不明。師匠・福松の「福」と、大師匠・2代目圓笑の「圓」を取って名づけたという。また、次のいわゆる「初代」までにもう一人の福圓が存在するというが、こちらも詳細不明。
[編集] 2代目
2代目 笑福亭福圓(1883年(推定) - 1944年)は、本名: 武藤雄二郎。享年61。
大阪淡路町の生まれ。養父は商人。15、6歳から四季亭可遊の名で素人落語に加わり、後の5代目笑福亭松鶴らと共に「浪花落語三枝連」を結成。後、林家花丸の門下で林家花女八(かめはち)。また三升家和歌之助(または若之助)を名乗る。1907年頃、藤原年史(後の3代目笑福亭圓笑)門下に移り、年之助、笑福亭圓之助を経て、2代目福圓を襲名。実は4代目福圓であるが、先代らが途中で改名しているので、個人的に2代目を名乗ったのだという。
京都落語界の重鎮で、初代桂枝太郎の主催する京桂派では「一五会」という勉強会を提唱し、若手育成に努めた。5代目笑福亭松鶴の主催する「楽語荘」同人でもあり、京都公演時の主任を勤めている。
十八番は『夢八』。その繊細な高座は、同志である3代目笑福亭枝鶴、4代目桂米團治らと通じる所があったという。
[編集] 出典
- 『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社、1989年、ISBN 458212612X)