笹川堯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笹川 堯(ささがわ たかし、1935年10月5日 - )は昭和・平成期の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(現在7期)。津島派所属。自民党群馬県連会長を務める。東京都文京区出身。本籍地は群馬県桐生市。元衆議院議員・日本船舶振興会創設者の笹川良一の次男で、公営競技の業務委託やトータリゼータシステム製造を主な業務とする日本トーターの設立に関わる。車好きで愛車はロールスロイス。夫婦別姓はもちろん、フェミニズム政策に積極的である。 また、国会議員所得ではその長だが、借金も三本の指に入るほどある。
[編集] 経歴
- 1954年6月 全国モーターボート競走会勤務。
- 1956年3月 明治大学法学部中退。
- 1956年7月 桐生競艇施設(現関東開発)役員就任。
- 1972年12月 衆議院議員総選挙に初出馬するも落選。
- 1982年5月 桐生競艇施設の全役員を辞任、顧問相談役に就任。
- 1983年12月 衆議院議員総選挙に出馬し落選。
- 1986年7月 衆議院議員総選挙に出馬し初当選。以後連続7期当選。
- 1991年11月 郵政政務次官に就任。
- 1993年12月 自由民主党を離党
- 1994年1月 院内会派「改新」に参加。
- 1994年12月 新進党結成に参加。
- 1996年11月 新進党を離党。
- 1997年4月 自由民主党に復党。
- 2000年12月5日 第2次森改造内閣で国務大臣(無任所大臣)に就任。
- 2001年1月6日 省庁再編に伴い科学技術政策担当大臣に就任。
- 2003年11月 衆議院予算委員長に就任。
[編集] 特記事項
- 2003年9月の自民党総裁選に立候補の意志を表明するが最終的に同じ派閥の藤井孝男に譲り出馬を辞退。
- 郵政族の有力者として知られ、1991年の郵政政務次官就任時には小泉純一郎郵政大臣と郵便貯金制度改革をめぐって激しく対立した。だが2005年7月5日の郵政民営化法案の衆議院本会議採決では賛成票を投じた。その直後の解散総選挙では、小選挙区で当選するも民主党の石関貴史に僅差に詰め寄られる。自民党の磐石の地盤である群馬県では異例のことであった。
- 国会議員の資産公開で堂々1位となり、記者会見の席上、「庶民の気持ちはわからないのでは?」と問われ、「そうでしょうなぁ」と率直に答えたことがある。
- 2006年10月26日、自民党の党紀委員長であった笹川は、自民党津島派の総会で、郵政造反組復党問題について、「落選した候補も見捨てない。救済するときは一括して救済していくのが一番正しい道」と、無所属の衆院議員に落選組を加えた「一括復党」を認める意向を表明した(最終的に、12月4日に平沼を除く11人を復党させた)。
[編集] 外部リンク
|
|
|