細川利重
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細川 利重(ほそかわ とししげ)は、肥後熊本新田藩の初代藩主。
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時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 正保3年12月15日(1647年1月20日) | |||
死没 | 貞享4年8月15日(1687年9月21日) | |||
別名 | 七之助(幼名) | |||
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺妙解院 | |||
官位 | 従五位下、若狭守 | |||
藩 | 肥後熊本新田藩主 | |||
氏族 | 細川氏 | |||
父母 | 父:細川光尚、母:内海氏(清光院) | |||
兄弟 | 細川綱利、細川利重 | |||
妻 | 正室:細川興隆の娘・亀姫(顕寿院) 側室:築山氏(高正院) |
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子 | 3男3女(細川利昌、細川宣紀、 清涼院(細川有孝室)、娘(久我惟通室)、 養女(松平直丘室) |
正保3年(1646年)12月15日、熊本藩主・細川光尚の三男として生まれる。万治3年(1660年)12月に従五位下、若狭守に叙任する。寛文2年(1662年)3月、兄・細川綱利から5000石を与えられた。寛文6年(1666年)7月には兄から3万5000石を与えられて、熊本新田藩主として立藩した。その後は幕府の江戸勅使接待役などを務めた。
貞享4年(1687年)8月15日に死去。享年42。後を長男の細川利昌が継いだ。
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